フツウの生活

狭山丘陵の花、鳥、自然の写真を主に載せながら日々の暮らしの中での思いを書いています。 ハンドルネームのsage55はセージ55です。シソ科にちなんでつけました。


子どもだったころよく歌った歌に
「うの花の匂う垣根に・・・」という唱歌があってよく歌っていた・・・
なんて言うといったいいつ頃の生まれだ?と思われてしまうかもしれませんね(笑)

歌の続きに「時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて」という歌詞があります。
そうそうホトトギスの鳴き声も毎日聴こえていますから、まさに丘陵は初夏の季節です。

ウツギ
ウツギ(空木)
別名;ウノハナ(卯の花)
アジサイ科 ウツギ属


ウツギ
ハチさんも足に花粉をいっぱいつけています


ウツギ
真っ白な花に黄色い花粉が・・・


ウツギ
一週間前に撮ったので今はもう終盤でしょう・・・


そんなに歌が今のように溢れていなかった時代です。
育ったころ流行歌は余り無かったのかよく覚えていません。
まだ、敗戦色の強かった頃でテレビも家で見られるようになったのは小学校になってからでした。
その頃のことを思い出すと、貧しかったけれどそれが当たり前でしたね。
子どもの頃よく口ずさんだ歌の「夏は来ぬ」の中のうの花がウツギの花だと知ったのはわりと最近のことです。

今日は風の強い日でした。
車での帰り道、大きな木が道路をふさぐように倒れていました。
多分、風のせいなのでしょうね・・・
表土のすぐ下の関東ローム層は薄く樹木は根を張れなくて倒れやすいのだそうです。
歩いていて木が倒れてきたら逃げようがないです。
風の強い日、歩くのは怖いかも・・・





新緑の中を歩くのはフィトンチッドをいっぱい浴びているようでとても気持ちのいいものです。
5月の楽しみはその萌黄色から鮮やかな緑に変わるころですが、所々にオレンジ色の明るい色が突然現れます。
ヤマツツジの花の咲く季節、丘陵の緑の小道も強くなった陽の光がまぶしいです。

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ヤマツツジ(山躑躅)
ツツジ科ツツジ属


一口に朱色といってもよく見るといろんな色があります。(↓どれもClickで大きくなります)

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これは普通かな


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かなり赤いもの


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相当薄い色も


これは一番赤いかも
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雄しべの先の葯には二つ穴があり、
ここから花粉が連なって出てきます。


まだ小さかった頃、理科の教師だった父に連れられて散歩に出かけたことがあります。
父はツツジの花の雄しべの葯から花粉を指でつまみ出して・・・
「ホラ、花粉が連なって出てくるよ」と教えてくれた事があります。

花というか植物に興味を持っていたのは子供の頃からなのだけれど、その原点というか原体験はこのことではないかと最近思うようになりました。
でもそんなことをしてもらったのはこの時ぐらいですけれど(笑)

以前も書きましたが、西日本というか私の故郷のヤマツツジは薄い紫色に近いピンクでミツバツツジのような色ですが・・・

狭山丘陵にて 5月上旬撮影




先日お雛さまを飾りました。

s-P1010796a.jpg
 これは昨年母が亡くなる前にもらってきたお雛さま
宏寿と書かれています

小林宏寿という一刀彫の彫り師の方の作品のようです。 

雛一刀~1 
娘に買ってくれていたお雛さま


娘が生まれた時、両親が買ってくれたお雛様は「奈良の一刀彫」で旅行していた時に見つけたと言っていました。
きっとこの度もらってきたお雛さまは母が自分の為に買って楽しんでいたのではないかしらね・・・
戦争で自分のお雛さまは消失してしまったのでしょう。
気に入って娘に買ってくれた一刀彫のお雛さまと同じ形のものを自分だけの宝にして楽しんでいたのでしょうね。
毎年飾る度に母を思い出すでしょう・・・

狭山丘陵の出入り口の一つ、六道山公園から少し入ったところです。
外周道路沿いにはフェンスが張り巡らされていて片側は入れません。
向かって右側にはフェンスはなくて所々下に降りる道があります。

すっかり秋が深まったこの道を久しぶりにゆっくり歩きました。

 
落ち葉がいっぱい落ちています

 
この黄色い葉っぱ!

フェンスの向こう側は水道局の用地で立ち入り禁止区域です。
その深い森の中から流れ出す水は山口貯水池(狭山湖)へと注いでいます。
もちろん、大部分の水は昭和の初めの工事で多摩川から引き込まれています。

山口貯水池(狭山湖);
多摩川(羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び、羽村取水堰(羽村線)からの導水を主要な水源としているが、一部金堀沢・大沢などの天然の湧き水が流れ込む。湖の水は東村山市の東村山浄水場、武蔵野市の境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。       wikipediaより

さて、自宅の近くに縄竹という自治会があります。
昭和の初め東京都の水道用の山口貯水池(狭山湖)の拡張工事に伴い入間郡宮寺村字縄竹(旧縄竹地区)から移転を余儀なくされた人たちの集落です。

先日、回覧で縄竹の郷土史が出ることを知り購入してみました。

img022.jpg ¥1,500円です

まだ全部を読んだわけではないのですが、湖底に沈んだ故郷を偲びいろんな思いや歴史的なことなどが書かれています。
私自身は、近くの新興住宅街に住んでいますが数年前から狭山丘陵を歩くようになって旧縄竹地区の存在を知るようになり、改めてその歴史に興味を持っていました。
ゆっくり味わいながら読んでみようと思っています。

雨模様の昨日の日曜日。
この地域に引っ越してきた30年以上前から気になっていた建物を見に行ってきました。

入間市の駅から徒歩で10分位、国道沿いに建っている
国の登録有形文化財 旧石川組製糸西洋館 です。

西洋館は石川組製糸の創始者石川幾太郎が建設、迎賓館的機能を持った木造建築です。
石川組製糸は昭和2年には出荷高全国6位といいますからかなりのお金持ちだったんでしょうね。
建設設計は帝大の室岡惣七、建築は川越祭りの山車を作る宮大工の関根平蔵ということです。

国道16号線沿いにあるので車やバスからもよく見えますのでご存知の方も多いと思います。
向かいには大正12年建設の武蔵豊岡教会があります。(入間市河原町8-6)

 
緑の屋根が正面玄関

 建物の裏側

 食堂の天井

 

 客室の窓

 応接間の天井がすごい!

 家具もすごいなぁ

 玄関ホール

 階段

 階段を上ったところ

 2階ホールのステンドグラス

 2階の和室

 2階ホールの窓
すべて携帯で撮影しています

この辺りには少し前までクワの木が植えてありその昔は生糸の生産が盛んだったことが想像できます。
生糸が明治から大正にかけてさかんに海外へ輸出されていた頃は海外からの客も多かった為その接待に迎賓館として建てられたようです。
天井の細工や洒落たステンドグラス。
映画やドラマの撮影などにも使われるそうです。

私の実家はこの建物とは比べ物にならないくらい普通の建物でしたが昭和4年建築ですから西洋館のあと10年くらい建てられた築91年の家でした。
戦争を乗り越えてここまで来た昔風の家を両親がわりと手を入れ小奇麗に暮らしていたので処分されてしまうと思うと悲しいですね・・・

sage55

Author:sage55
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